先日の日本選手権ハンマー投終了後のインタビューで、「選考会を振り返って今どんな気持ちか」という質問がありました。
私がハンマー投を始めたのは、1998年の陸上シーズンを終えた秋、21才と9か月の時でした。2000年シドニー五輪から女子ハンマー投の正式採用が決まり、15才からはじめた円盤に加え2種目のチャレンジがスタートしました。
当時、取り組む種目を1つに絞るべきだという声が大多数で、「2つ目指すなんて絶対集中できないので円盤はやめた方がいい」と、多方面でよく言われたものでした。まったく異なる2つの競技で世界を目指すなんてとんでもない、といった感じでしょうか。父の話から、投擲競技は技の安定に最低でも7~8年以上は必要でそれからいよいよ面白くなってくるということで、私もまったくその通りのことを経験しました。
円盤に関してはそうした一番面白い時期にさしかかるところでしたので、「志半ばでやめてしまうなんてとんでもない!」そんな考えでした。ハンマーを始めて初めてのシーズンに円盤投でまず日本記録を樹立し、そしてハンマー投をはじめて6シーズン目、27才と4か月のとき、私は当時の参加標準記録Aを突破し、また日本記録を樹立し、2004年アテネ五輪の出場を決めました。2007年には自国開催ながら円盤で世界選手権に出場を果たし、2種目で成績を残してからは一切種目を1つに絞るといった話はなくなりました。コロンブスの卵みたいです。
ハンマー投を始めた年齢が20代と遅いことは10代の吸収力とは違いかなり難しいチャレンジでしたが、技術系の種目としては大変短い期間で五輪にたどり着いたことになります。27才でようやく手にした五輪ということではなく、わずか5年半で五輪の夢をかなえたというところで当時は大変大きな喜びでした。
今回のロンドン五輪陸上競技で選出された選手の年齢をみてみますと、大学生~20代中ごろの選手がニューフェイスで多く派遣されますが、彼らはこれからおそらくあと1~2回の五輪チャレンジが可能なのだと思います。それを考えますと、私の場合はハンマーをスタートしたのが22才になる直前ですので、15才ぐらいから始めている選手と比べ年齢的に体力の衰えや怪我など様々なことを考ると目指せるチャンスは1回少なかったという形なのかもしれません。
それでも1度だけでも出場が叶ったこと、これは私にとって大きな宝となっています。1度出るのも大変なのに、更に4年後にピークをまた合わせること、これは寸分の狂いも許されないもっと大変なことなのだと今になってつくづく感じました。
4年前、8年前、12年前と遡ると、近年30代で活躍するベテランといわれるアスリートの人数は相当増えています。私の個人的な経験と視点からですが、27~29才が体力や傷害からの回復力など総合的なピークなのかと思います。そのあたりに差し掛かる前のアンチエイジング、アンチインジュリーなどがいかに大切になるか、20代前半のときから考えることができたら力を出せる競技寿命はまた少し伸びるのかもしれないと感じました。
1980年モスクワ五輪で日本が不参加になったとき、父は五輪の代表に選出されていました。当時「出られないことは悔しいか」との問いに父は、「五輪があってもなくてもやることは変わらない」そう答えたそうです。技の追及、美しい投擲を目指す事は五輪があってもなくても変わらない、記録への挑戦、それ自体が自分の楽しみであり喜びに満ち溢れた事だったのだと思います。
先日の日本選手権が終えて、その父の話がまた私の心を駆け抜けました。